2015年11月2日月曜日

日中韓首脳会談によせて

日本側の歴史認識に対して、不満を持つ韓国と中国。

日本が両国を支配してきた歴史は事実で、
それに対して「おわび」の気持ちを欠いてはならないのは確かなのだろう。

だが、事実は消せないからと言って、両国との関係に対して、永遠のものではない。

安倍首相は、その談話の中で、そう述べていた。

「水に流す」日本では、そういう。

せまい島国だから、対立があっても、そんなふうにやりすごしてきた。

和の文化の一端でもあろう。

だから、彼らが「まだ言うか」と思ってしまう。

儒教文化圏において、「憎しみ」はどうとらえられるのだろう。

あるいは、一旦、敵になり、虐げられた相手に対して、永遠に恨みを持つものなのか。

そういえば日本でも、江戸時代、「親の敵」とか言う場合、子供がかたきうちをしても、
犯罪ではなかったような気がする。

「忠臣蔵」なんかでもそうだよな。

あれなんかも儒教、儒学の影響だろう。

中国とかからみれば日本は東夷にすぎない。

そんなやつらに支配されたとあっては、「親の敵」が永遠であってもおかしくないだろう。

韓国は植民地化までされたのだから。

「飼い犬に手を噛まれた」どころではない。

君臣関係が逆になってしまったのだ。

うらみつらみも永遠というのもむべなるかな、である。


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