2012年8月5日日曜日

原発について

福島の被害にあった人たちが、原発に反対する姿が放映されていた。

「ふるさとを失くした人」「大切な人をなくした人」の言葉は重い。

彼らの言葉を聞けば、あるいはもし自分がその立場だったら、
私自身、原発に反対しているかもしれない。

しかし、私は彼らの言葉にどうしても違和感を覚えるのだ。

「ふるさとを失くしたひとのことを考えれば、原発再稼動などできるわけがない。」
そう言い切る彼らだが、
彼らがふるさとを失くしたのは、ほんとうに原発のせいなのか?

事実、国会の事故調では、「人災」決め付けている。
であれば、「原発」そのものにその矛先を向けるのはおかしくはないか?

人災なら人災で、人を糾弾し、責任を取らせるのが筋なのではないか。
「原発」自体に責任はないというなら。

いかに過失がなかろうと、事故があったなら、それを作った人に責任がある。
それは「製造物」だけに限ったことではない。

反原発が反戦争のように感情論に流されてしまっては、
多くの支持を得ることはできないだろう。

原発はまず、それにかかわる組織を整えるべきだ。
再稼動はその上ですればいい。


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