2011年4月24日日曜日

アガスティアの葉

確か1990年代の半ば頃だった。

実際、いつごろだったかよくは覚えてはいない。

この本が出版された年を見るとそうなっているので、そのくらいだったかなあと思うだけである。

35歳くらいだから、現在の会社に入社した頃かもしれない、この本を読んだのは。

青山圭秀氏の本で日本では一躍有名になった。

その前年に出された「理性のゆらぎ」という本で有名になったというべきかもしれない。

タイトルでストレートに表現しているのが「アガスティアの葉」であるため、そちらを選んだ。

すべての人の一生がこのアガスティアの葉に刻まれている。

その葉を見れば自分の一生がわかる、そういうものである。

当時日本人がたくさんインドを訪れ、このアガスティアの葉を読んだそうだ。

ニセモノ論議も戦わされ、これを批判する本も出版された。

「サイババ」はそのときのもうひとつの象徴だったように思う。

無から有を生じる。

何もないところから金粉をもたらす。

そういった奇跡を普通に起こしていた。

当時、そういうことに興味を持ったが、
本を読んだだけで特に自分自身は何をしたわけではない。

アガスティアの葉
サイババ

私は神や仏を信じないわけではないが、そういうものを必要とはしない。

敬う気持ちや感謝する気持ちは忘れないでいたいが、
頼ろうとする気持ちは持ちたくない。

確か、宮本武蔵がそのようなことを言っていた。

今日、サイババが亡くなられた。

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