ひらがなの成立は900年代とされていた。
そりゃまあそうだろう。
国風文化の基盤となる「かな文字」なのだから。
清少納言や紫式部、紀貫之といった国風文化文芸部門の根本である。
国風文化はその名のとおり、「国風」。
唐の影響を受けなくなったものである。
理由はもちろん、「遣唐使の廃止」。894年のことである。
だとすれば、900年代に成立しないと理屈に合わないじゃないか。
そこはかな文字。
ひらがなは漢字の草書をさらに崩したものだから、
「国風」と言っても、中国のものを改良しただけだ。
当然遣唐使廃止以前から、できていてもおかしくはない。
ってことで、この発見。
実際、遺跡の主である藤原良相が没したのが867年で、その前後のものだと思われている。
さもありなん、遣唐使廃止の約30年前である。
桓武天皇のころからするとかなりたっている。
理屈に合わないわけではない。
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