8月6日は、広島に原爆が投下された日である。
多くのテレビや新聞がそのことを取り上げている。
今年は特にオバマ大統領の核廃絶のビジョンとあいまって、
平和への具体的な方向性や現実的な動きと重なって映し出されている。
こういうところでオバマさんはさすがだなと思ってしまう。
日本の政権選択選挙なんてかすんでしまう。
世界平和からすると、自民党だの民主党だのもうどうでもいい気なってしまう。
ただまあ、こういう動きで気になるのは、
核廃絶を情緒的にとらえすぎると、
その抵抗勢力に対してかえって力を与えることになりはしないか、ということだ。
もちろん、被爆、戦争の悲惨さやむごさ、悲しさを伝えるのは正しい。
しかし、戦争は必ずしも「感情」で引き起こされるものではない。
場合によっては「理性の極み」で起こるものかもしれないのだ。
実際、現在でもアメリカ人の多くは、
広島に原爆を投下したことを悔いてはいない。
むしろ、正しかったと思っているほうが多数派だと聞く。
日本がアメリカに広島への原爆を投下させたようなものだ、
そう考えているアメリカ人は案外多いのかもしれない。
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