明日から日記の体裁を変えようと思う。
何月何日というのをやめようと思っているのだ。
特に天気などいい加減になることが多いし、
日にちもいちいちいれなくても勝手に入ってくれるから。
あと、SEO的に日にちが先頭に来ると、キーワードの表示がされにくいもんね。
ってことで、明日からタイトルに○月○日(○曜)天気○というのをやめることにする。
2011年3月31日木曜日
2011年3月30日水曜日
3月30日(水)晴れ 脱ゆとり
12年度から使われる教科書の検定結果が発表された。
脱ゆとり路線で、全教科平均で25%増とのこと。
理数はそれぞれ、45%、35%増である。
それにしても思い切って舵を切ったもんだ。
ゆとりのおかげで塾が繁盛したこともあった。
そういう意味では塾には逆風なのかもしれない。
でも、こうしてむずかしくなると、やはり塾が必要ということになるのではないのかなあ。
ほんとどっちにころんでも塾には順風ということにならないか。
脱ゆとり路線で、全教科平均で25%増とのこと。
理数はそれぞれ、45%、35%増である。
それにしても思い切って舵を切ったもんだ。
ゆとりのおかげで塾が繁盛したこともあった。
そういう意味では塾には逆風なのかもしれない。
でも、こうしてむずかしくなると、やはり塾が必要ということになるのではないのかなあ。
ほんとどっちにころんでも塾には順風ということにならないか。
2011年3月29日火曜日
3月29日(火)曇り ちょっといい話
岩手県大船渡市の越喜来(おきらい)小学校という小学校のお話。
大船渡市議であった平田武さんは常々、この小学校に津波が来た時、階段をおりて道路に出て、避難していたのでは間に合わない、そう感じていた。
だから、直接道路に出る非常通路を作るべきだと訴えていたのだ。
それが完成したのが昨年の12月。
津波の9日前にはこの市議は亡くなっている。
で、実際、津波が来たとき、この通路を使ったため、高台へすばやく避難できたというわけである。
しかし、それにしてもこの通路。 津波が来たから日の目を見たが、来なかったらどうなっていたんだろう。
無用の長物とされていたのだろうか。
もしかしたら、現在「無用の長物」とされているこうした「宝」は他にもあるのかもしれない。
災害に襲われなかった「幸運」を恨みながら・・。
でも、たぶん、「無用の長物」にされたことをひっそり喜んでくれているんだろうね。
大船渡市議であった平田武さんは常々、この小学校に津波が来た時、階段をおりて道路に出て、避難していたのでは間に合わない、そう感じていた。
だから、直接道路に出る非常通路を作るべきだと訴えていたのだ。
それが完成したのが昨年の12月。
津波の9日前にはこの市議は亡くなっている。
で、実際、津波が来たとき、この通路を使ったため、高台へすばやく避難できたというわけである。
しかし、それにしてもこの通路。 津波が来たから日の目を見たが、来なかったらどうなっていたんだろう。
無用の長物とされていたのだろうか。
もしかしたら、現在「無用の長物」とされているこうした「宝」は他にもあるのかもしれない。
災害に襲われなかった「幸運」を恨みながら・・。
でも、たぶん、「無用の長物」にされたことをひっそり喜んでくれているんだろうね。
2011年3月28日月曜日
3月28日(月)晴れ 3年B組金八先生
3月25日から3月28日にかけて、3年B組金八先生のファイナルがあったようだ。
実際に視聴したのは3月27日(日)のみ。
土曜日もあったわけだから見てもよかったんだけれど、他のことをしていて忘れていたみたいだ。
他は仕事があったから見られなかった。
ただし、3月27日は仕事から帰ったら、家族が見ていたのだ。
それにしても最初のシリーズはいつ頃だったろうか?
1979年というから、大学に入って2年目ぐらいになるのだろうか。
中学生ぐらいの時ではないようだ。
つまり、最初のシリーズから自分自身は成人に近かったわけだ。
どうも記憶があいまいでいけないが、例の「たのきん」とかは、ずっと上からの目線で見ていたわけだ。
確かグリコのチョコレートかなんかの宣伝で田原俊彦が松田聖子と競演していたように思うし、松田聖子がいいって言っていたノボルを思い出すと、確かに大学生だったような気もする。
ギンギラギンにさりげなくなんて歌っていたマッチもあのころだったかなあ。
あれも自分が大学生だったのかなあ。
だとすれば、河合奈保子がいいっていっていたころである。
当時、本気でテレビを見ていたような気もしないし、アイドルもいまいちどうでもよかったが、なんかそういう時代を彩るのはやはりアイドルだとは思う。
実際に視聴したのは3月27日(日)のみ。
土曜日もあったわけだから見てもよかったんだけれど、他のことをしていて忘れていたみたいだ。
他は仕事があったから見られなかった。
ただし、3月27日は仕事から帰ったら、家族が見ていたのだ。
それにしても最初のシリーズはいつ頃だったろうか?
1979年というから、大学に入って2年目ぐらいになるのだろうか。
中学生ぐらいの時ではないようだ。
つまり、最初のシリーズから自分自身は成人に近かったわけだ。
どうも記憶があいまいでいけないが、例の「たのきん」とかは、ずっと上からの目線で見ていたわけだ。
確かグリコのチョコレートかなんかの宣伝で田原俊彦が松田聖子と競演していたように思うし、松田聖子がいいって言っていたノボルを思い出すと、確かに大学生だったような気もする。
ギンギラギンにさりげなくなんて歌っていたマッチもあのころだったかなあ。
あれも自分が大学生だったのかなあ。
だとすれば、河合奈保子がいいっていっていたころである。
当時、本気でテレビを見ていたような気もしないし、アイドルもいまいちどうでもよかったが、なんかそういう時代を彩るのはやはりアイドルだとは思う。
2011年3月27日日曜日
3月27日(日)晴れ ラーメンの歴史
社会の公民「現代の社会」の単元の中に「生活の変化」というのがある。
その中には、
マクドナルド、ファミリーレストランなどの外食産業の発展や、
コンビニエンスストアやディスカウントショップなどの小売業態の変化など、
さまざまな生活の変化が述べられている。
その中でも特に気になったのが、
冷凍食品、レトルト食品などのインスタントもの。
もちろん、これらは冷蔵庫や電子レンジなどの普及と関係があり、
したがって、3種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)の50年代や
3C(カラーテレビ、カー、クーラー)の言われた60年代後半の時代と結び付けられることもある。
いずれにせよ、1953年。
まだ戦後と呼ばれたころである。
そのラーメンが生まれたのは。
その名もチキンラーメン。
今でも食品売り場には売られている。
お湯だけで簡単にできるラーメン。
そして、1971年、日本の高度経済成長がとまる1973年の2年前だ。
大阪万博の次の年。
カップヌードルが発売されたのである。
チキンラーメンもカップヌードルも開発したのは安藤百福氏。
1992年には、生めんタイプの「ラ王」が発売になり、
これまた日清が時代を切り開いたわけである。
いろいろ考えてはみるが、やはりチキンラーメンの開発が一番すごいと思う。
その中には、
マクドナルド、ファミリーレストランなどの外食産業の発展や、
コンビニエンスストアやディスカウントショップなどの小売業態の変化など、
さまざまな生活の変化が述べられている。
その中でも特に気になったのが、
冷凍食品、レトルト食品などのインスタントもの。
もちろん、これらは冷蔵庫や電子レンジなどの普及と関係があり、
したがって、3種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)の50年代や
3C(カラーテレビ、カー、クーラー)の言われた60年代後半の時代と結び付けられることもある。
いずれにせよ、1953年。
まだ戦後と呼ばれたころである。
そのラーメンが生まれたのは。
その名もチキンラーメン。
今でも食品売り場には売られている。
お湯だけで簡単にできるラーメン。
そして、1971年、日本の高度経済成長がとまる1973年の2年前だ。
大阪万博の次の年。
カップヌードルが発売されたのである。
チキンラーメンもカップヌードルも開発したのは安藤百福氏。
1992年には、生めんタイプの「ラ王」が発売になり、
これまた日清が時代を切り開いたわけである。
いろいろ考えてはみるが、やはりチキンラーメンの開発が一番すごいと思う。
登録:
投稿 (Atom)