宮沢賢治「グスコーブドリの伝説」のことが、
福島原発になぞらえて朝日新聞に載っていた。
「グスコーブドリの伝説」自体は読んだこともなく、内容も知らなかった。
人間が作った魔物を退治するために、最後の一人が犠牲にならなければならない。
その命を捧げたのが「グスコーブドリ」である。
その精神は「特攻隊」。
最近の映画でも、草薙剛がやっていた「日本沈没」を救うために、
その命を捧げた青年の物語があった。
その種の枠組みと事を同じくするであろうノンフィクションというか、
目の前の現実である。
50人の東電の社員が放射能と闘いながら、
原子力発電所の復旧に努める。
復旧しなくても、放射能を漏らさないようにする。
そのための戦いである。
放射能を多量に浴びれば、当然自らの命も犠牲になることがあるだろう。
自衛隊や機動隊の放水活動も似たような意味合いがある。
自らを犠牲にして、多くの命を守る姿は美しい。
美しいが、だからといって、失われてよい命ではない。
自らを犠牲にして国を守らなければならない状況を作り出すのも人間である。
原発との戦いで犠牲者を出さないようにしてほしい。
天声人語の筆者も言いたいことは同じであろう。
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