2014年6月29日日曜日

サラエボ事件

昨日は、サラエボ事件からちょうど100年後だったらしい。

第一次世界大戦のきっかけとなる事件だ。

セルビアの青年がオーストラリア皇太子を暗殺したと言うあの事件だ。

セルビア側から見れば「英雄」オーストリア側から見ればテロリストということは、
伊藤博文を暗殺した安重根と同じだ。

オーストリアとセルビアの力関係から言えば、当然そうなるのだろう。

とにかく第一次世界大戦のあと、民族自決の流れでユーゴスラビアになる。

スラブ人が集まったわけだけど、民族の違いでセルビア人主導の政府にクロアチア人が反発するわけだ。

第二次世界大戦後、チトーが登場してユーゴスラビアをまとめあげるときにはクロアチアも一緒にまとめた。

しかし、1980年にチトーが死ぬと瓦解。

91年にクロアチアとスロベニアが独立。

そして、92年にボスニア・ヘルチェゴビナが独立。また、同年マケドニアが独立。

2002年にユーゴスラビアはセルビア・モンテネグロに名前を変えた。

2006年にモンテネグロが独立するとセルビアが単体となり、ユーゴスラビアは完全に解体することになった。

サラエボって・・。

その後、数奇な歴史をたどることになるのだなあ・・・。





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