何をかくそう五・一五事件のあった日だ。
日付がそのまんま事件の名前になっているから、わかりやすい。
二・二六や五・四、三・一など、
歴史には日付そのまんまの名前の事件や運動がある。
その中でも、五・一五が記憶に残りやすいのは、
軍部が独走するきっかけとなった事件だからか。
あるいは、左右対称なので覚えやすいからか。
やはり、
あの暗殺された犬養毅首相が
岡山県出身だということが大きいのだろう。
中国とのつながりのあった犬養首相が、
もし、暗殺されていなかったら、
歴史はどう流れていたんだろう?
軍部の独走をとめることができていたのだろうか?
そんなことを考えないでもない。
歴史に「もし」はない。
でも、現在という歴史に生きる我々にとって、
「もし」を考えることこそ、
歴史を学ぶ意義があると思う。