8月6日は広島に原爆が落とされた日である。
1945年だから、69年目になる。
だから、どうだというわけではないが、たしかに「風化」が言われてもおかしくないくらい時は経過した。
先ごろの横浜の修学旅行生による「死に損ない」発言も記憶に残る。
「被曝」を生で体験した人自体が減っているということもある。
語り継がなければならない、「ヒロシマ」ではあるが、それだけではいけないような気がするのも確か。
70年も続いた平和はすでにファンタジーではない。そういう人もいる。
しかし、70年は「70年しか」かもわからない。
とすれば、やはり、ファンタジーじゃないか。
安倍総理がヒロシマの平和祈念式典で、スピーチをしていた。
閣議決定で「集団的自衛権」を認めた人だ。
ケネディ駐日大使はその閣議決定に好感を抱いている。
「平和」の意味する内容が変わりつつある、と言ってもいいのかもしれない。
我々が目指す世界平和とは何なのだろう?
そこへ行くためには、我々はどういう選択をすべきなんだろう?
さまざまな考え方を認める「民主主義」こそが、「平和の土台」になるのだろう。
テレビに映る小学生のスピーチを聞きながら、そんなことを考えた。
0 件のコメント:
コメントを投稿